ケーキのいちごと愛

皆さんの目の前に愛する人がいて、ケーキの上のベリーを相手は好きだったら―
あなたはどうしますか?

目次

無償の愛とケーキのいちご

ショートケーキといえば、いちごが乗っかっていますよね。

いちごのショートケーキ
実はホイップクリームはあまり好きじゃない(小声)

ケーキの上のベリーをあなたにくれる行為。それは無償の愛

なにがしかの本で昔、そんなくだりを読んだことがあります。

一定の納得をしたうえで、哲学に脳ミソの大半を持っていかれていたお花畑状態の私は、謎の違和感を抱えたまま悶々としていました。
こうなるととまりませんが、考え事が次から次へと起こります。

愛とは・・・

生きるとは・・・

生命とは・・・

なんて、手のひらサイズの私の脳ミソと人生ではとうてい背負いきれない壮大な妄想と純情な感情をぐるぐるしていたわけです。

なんだかんだで論文を書いたり、後回しにしたり、一定の結論を得たりしながらやり過ごし、すっかりそのテーマを忘れかけた頃を狙って、夢見事件は起こるのでした。

突如現れた「ギブくん」

ここ最近のある日のこと、いつものようにをみておりました。

ひどくない?
にわえもんにはいちごがもらえるのに、オレにはなにもない。
ひどくない?
迎えにも行った。プレゼントだってしてあげた。
このペンダントトップだって、スゲェ高かったんだし!

いや、知らんがな。

さあご一緒に。秘技・エアメンチ。

ちなみにその人は「オレ」という一人称ではありますが、まっすぐ前を見ておらず落ち着かない様子で、ウロウロと歩き回りながら私に食ってかかるのでした。

もう一つちなみに、たぶんこれまでお会いしたこともなく、もちろん家族でも友人でも、お付き合いしたことのあるボーイフレンドでもありません。

まだ文句はとまらないようです。

だいたいね、オレに何をギブしてくれるの?
人間関係、ギブアンドテイクじゃね!?

出た。ギブアンドテイク。
Give and Take. Take and Give.
もはやどっちでもいい。

ギブアンドテイク
人間として一定の納得はしているつもりなんです。

文句を言い続けるその人を仮に「ギブくん」としましょう。

ギブくんには、何度理由を尋ねても、なにが足りなかったのか問いかけても、答えを教えてはくれません。
なんか、私、夢でない方の世界でよほど悪いことでもした!?と不安になったところで、
ギブくんは公衆の面前でワシのことを思いきり中傷して去っていきました。

中傷を受けた、夢の中のワシ

そりゃあ、イチャモンつけられた状態。
気分良くなんてありません。

けれども感じたのは、ギブくんへの憎しみとか、反発ではなく

あーーーーーーーー

めんどくせええぇぇぇ

面倒くさい。そんな感じ。
若い頃の私だったら、言葉で反撃したかもしれないし、誰かに愚痴を吐いたかもしれません。
ただひたすらに、面倒
ごめんねギブくん。

ギブ成分とテイク成分の均衡

ギブくんのほしかったものとは、自分で与えた(と思い込んでいる)「ギブ成分」へのテイク成分。
ギブアンドテイク説をとてつもなく荒っぽく解釈するならば、

行為者の主観的評価に基づくギブ成分とテイク成分の均衡が精神的な満足感をもたらす

ってことになりそうな気がします。

けれどもそれはいつだって主観的なもので。
願えば願うほど果てしない、むなしくなるもので。
ずっとたりない、渇望につながる。

そんな気がするのは私だけではないはず。

ギブアンドテイクと、ケーキの上のいちご

ここは論文ではないので一気に飛躍すると。
飛躍しすぎですよね、ゴメンナサイ

ギブくんのほしかったものとは、もしかするとケーキのいちごかもしれないって思うのです。
「ケーキのいちごをあげる=無償の愛」説に、少々の反抗を試みましょう。

ケーキの上のベリー、いちごにも主観的評価が及ぶわけで。
いちごの重みなんて、その人その人でちがいすぎるもの。

「あぁ、私のために分けてくれたんだ」と感謝することはできても、あくまで想像でしかないのです。
想像力や共感力は必要だし、人と人とがつながりを感じられる「なぜだかわからないもの」にも影響しています。

もしも客観的にいちごに愛の重みがのせられていたとして。
それに見合った重みを返せばOK―

ごめんよ、そんな世界に興味はないんですわ。
けれども、ギブアンドテイクって、極端に言えばそんな怖さを孕んでいるものに思えてならないのです。

いちごくれたら嬉しい、けれども

かくいう私はいちごが大好きですが、欲しそうにしている人がいたらまあまあ差し上げられます。
それって、もしかしたら「無償の愛」を振りまいているということ?

ワシ、めっちゃエエ人やん。

んなわけあるか。

そんなにできた人間ではありません。

私には気の優しい夫が一名おり、夫は私によくおやつを買ってくれます。
ミスドに行けば、キャンペーンのもの。
ピエール・エルメさんのハート型のフランボワーズソースが入ったのも買ってくれますし、
もしも店頭に残り数個しかなくて、後ろに並んでいる人がいたら、彼は私の分だけとって、ほかの商品を選ぶような人です。

ちょっとがんばってドレスアップして、ホテルの素敵なお店にお茶しに行ってスッと支払ってくれるところもあります。
彼の大好きなプチトマトが1個しかあしらわれていなくても、私にくれます。

一方の私も、
お肉とおさかなを両方注文したら私は彼に切り分けるし、お肉の一番おいしいところは彼に食べてほしいと思っています。
お弁当だってズボラなりに作るし、彼が苦手な手続は引き受けます。

彼は私に無償の愛を傾けてくれている自信がなんとなく私にもありますが、彼とともに生きている理由が

おやつを奢ってくれるから!

では悲しすぎます。

彼は彼で、

お弁当作ってくれるから愛してる

とは言いませんし、

めんどくせぇ手続してくれるから結婚しちゃる

とも言われませんでした。

それと、おやつをくれて嬉しい気持ちは別ですし、彼が私の作ったお弁当を嬉しそうに抱えることとも違います。

シロクマさんのあご枕
夫はこんな感じの人です(たぶん

二元論について

無償の愛ってなんなん。
有償だったらいくらするんよソレ。

そう思っていくつか本を読んで、
GiveとTakeのカッツリ二元論があまり好きではないのかも?
と感じるようになりました。

というか、パートナーでもトモダチでも、仕事相手でも近所の人でも、
相手のことがめちゃくちゃ好きだったり、すること自体が楽しくて仕方がなかったりするから
そんなのどうでもいい

よくある「イタい彼氏・彼女」問題にお悩みの友人知人から、私にもときおり相談(相談相手まちがえてんじゃないかと思う)されるのですが、
びっくりするくらい好きだったらいろいろな意味で「イタいこと」が減る気がするのは、私だけでしょうか。

損得とかマジでどっちでもいい。
そんな思いのまま、一生を終えたらどんな気持ちだろう―

今日はここまでにしといちゃらーーー。


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この記事を書いた人

寝言と寝相がフルスロットル。
記事の書き終わりには独特の独り言を吐く。
以前の投稿内容はだいたい夢の中身だったが、歳のせいか夢見が減ってきたので最近は夢もへったくれもないことを書いている。
一人称が時々「ワシ」になる、実はバイク乗り。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • タダは好きな人にはとことん好きにふるまうわ。
    ええ、もちろんめいわくよ。
    ケーキあげるから、かわりにフォークくださらない?

    • フォーク、もちろん差し上げますのよ!
      でも…私のことは刺さないでくださると嬉しいですの。十分、タダさんの愛は刺さっていますのよ。

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