アートはメディテーションになるといわれます。
一見「静」のアートで血圧が上がったら、新しいジャンルの幕開けか、それとも―
アートに触れる習慣
私は、わりと普段からアートに触れるのが好きで、クオリティはさておき、自分なりに作品を作ってみたり、鑑賞したりする趣味をもっています。
たとえば
- 音楽を聴く、演奏する、歌う
- 粘土でアロマストーンをつくる
- 野菜やフルーツのカービングをする
- 陶芸教室に行く
- 美術館に行く
- ライブに行く
- 路上でパフォーマンスしている人の応援に行く
などは大好物なのです。
ワシの「芸術の秋」
芸術の秋というのももちろんありますね。
秋になると、いつも以上にアートを求めます。
それにはいくつか理由があって、ノリでやってみようとか、周りの雰囲気にのまれてとか、そんなこともあるのですが、
根本的に秋が苦手だから、というのが大きいと思っています。
まあまあ落ち込むし、体調はたいてい悪いし、気分のすぐれないまま過ごす日も多かったけれど、歳を重ねるにつれて少しずつマシになっていっています。
マシになっていく過程で、アートとの付き合い方を工夫していきました。
夢で「書く」
落ち着く、頭がすぅっとする香り。
背筋が伸びるような、なんともいえない爽快感とつめたい空気。
墨の香りは、確実に書をたしなむ瞬間のそれでした。
なんて書こうかなあ、さて―
ギャーギャー騒ぐんじゃねえぇぇぇぇ!
聞こえんじゃろがあああぁぁぁ!
おぉぉ!?
自分でも寝言、寝シャウト、とにかく大きめの寝言を吐き出しているのに気づきながら、状況がつかめないでいます。
ああ、これは夢だ。夢だから目をさまそう。そんな叫ばなくてもいいよ。
おぉぉ!?
ゴチャゴチャうるせえぇぇ!
書けええぇぇぇ!!!
締め切りがあぁぁぁ!!!
えええ!締め切り!
締め切りってなんだったっけ……
締め切りの正体
締め切りについてさすがに恐れをなした私は、夢を見続けながら考えました。
ここまでくれば夢か現か甚だ怪しいわけですが、もはやどうでもいいことです。
締め切り、締め切り………
そう、とある記事執筆の仕事の納期が気になって、その日の日中は一生懸命に仕上げていたことを思い出しました。
納品できたのに、まだ心配?
細かいことは省きますが、集中して取り組んだあとって、順番がテレコになって夢に現れることがあります。
心臓に悪いよ!
書けええぇぇぇ!!
いや、書いたって!もうできたんだって!
叫ぶように、書く
お気づきかもしれませんが、「書く」ということについて夢独特の解釈が発生しています。
ひとつは毛筆で書く、「書」としての書く行為。
もうひとつは執筆するという意味での書く行為。
ことばって不思議で、夢の中ではあやふやになることがあります。
執筆についてのバーンアウトと、書道とが頭の中でごちゃごちゃになっていたのです。
書道とは、まさしくアート。
表現するものは穏やかなことばかりではありません。
喜怒哀楽とも言い切れず、叫びだしたくなるようなことものせて書いていくことがあります。
もちろん、筆を持ったまま叫び出すように、半紙に向かうことだって。
作品にダメ出しするワシ
叫びながら書く自分自身に、気づいていました。
なぜかって?
最近筆持つ機会減ったよね?墨もすらなくなったよね?
なんでPCとペンばっかりなの?
そりゃ、勉強も仕事もあるから―
にわえもん、寝言が日本語じゃなかったよね?
ん?どういうこと?
なんかブツブツ、すごい小さな声で文句言わなかった?その前は叫んでもいたし…
日本語かどうかわかんないけど、納得いかないことあったんじゃない?
身に覚えがありました。文章なのか書なのかはわかりませんが、自らの書いたものにスッキリしなくて、文句を言っていたようです。
あぁ、迷惑なワシです。朝から夫に平謝り。
実はそれも夢だからこその出来事で、その日の日中に納品した(もちろん納期には間に合っています)原稿は、わりと産みの苦しみがあったタイプのそれでした。
何度も書いてボツにして、納得いくのを出せたのですが、「苦しみ」の部分が蘇ってしまったパターン。
全然、心静かじゃない
寝ながら何かを書いており、墨の香りがしたことを伝えると
ナニソレ!全然心静かじゃないし、癒しでもないじゃん!
なんかいい方法ないの?写経的な。
写経!
ワシのあまり好きでない、写経!!
しかし、心が静かになることはなんとなくわかっており、「好きではない」だけで、書道の生徒さんに課題として課すこともあったもの。
久しぶりにやってみるか、と思い、写経用紙を買い込んでみたのです。
書いてみて、2日目。
……飽きました。
だって、なんだか開放感がなくて、いまの気分じゃないな、という感じ。
それどころか寝言が増えて、叫び出すのでクレームは増え……陳謝します
もうちょっと心静かになるやつないの~?
こっちが知りてぇよ!
丑三つ時のシャウトと墨の香り
この問題に対する答えになっているかどうかわかりませんが、書く内容を写経ではなく、勝手気ままな文字や有名な人の文の書き写しに変えました。
そのぶん、自体やレイアウトの自由さで、遊ぶスタイル。
元々は万年筆でしていたことを、筆に持ち替える日があったりなかったりという状態。
これ、取り組んでいる方もいらっしゃると思いますが、私の中では心を鎮めるいい方法だと思っていて、自分には合っているようです。
そういえばここ数日は、クレームを受けていないなあ。
寝相まで自由過ぎるワシには、写経というフォーマットで心静かになろうとするほうに無理があったみたい。
師匠に見られたら、なんて言われるかなあ。
ワシにはふたり師匠がいて。筆を持たせてくれた破天荒師匠と、授業に参加しなければしないほどオモタノレベルが上がるオモシロタノシスト養成コースがあるとかないとかいういわくつきのオモシロタノシズムの教祖様も在籍したらしいD高校で偶然出会った書道専科の南溟先生。
小児喘息があって苦しくて、おけいこに行けなくて泣きながら宿題を出したら、ネイルギンギンの美しい手で受けとめてハグしてくれた、大好きな破天荒先生。
実は現役バリバリの書道家で、アートとしても素晴らしい作品を作られる方。
師匠のキツい香水と優しい腕と、いつでも辛口なコメントのむこうに墨の香りがして、救いを求めるように通いました。
南溟先生は、書道部じゃない私を突如呼び出し「入部届を書け」と言い、卒業アルバムに「書道部の作品」として載せるためのデカい三部作を書かせるような人。
進路指導の先生とはいつも正反対のことをおっしゃいながら、校長室や職員室呼び出しの常連の私をかくまってくださいました。
時々ニカワの香りのするアトリエで、一緒に墨をすりながら、やっぱり救いを求めるようにその部屋に吸い込まれていました。
南溟先生は、私が制服を着なくなってからわりとすぐ、あまりにも突然に、早くに、お空に旅に出てしまいました。
先生に会いたいです。とても会いたいです。
そんな記憶を呼びさますのは、墨のせい。だって嗅覚だもの。
芸術の秋?いやいや、ちょっと解き放たれたかっただけ?
それとも、ハードコアなトモダチの影響?いや、ハードコアは2人の師匠もそうだった―
今日はここまでにしといちゃらーーー。
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コメント
コメント一覧 (2件)
彫るように掻くのね。
美しい字をみると色々と想像します。
静かな環境なんだろうなぁ。とか
姿勢も美しいいんだろうなぁ。とか。
なんでこの言葉を偉んだのだろう。とか。
どんな想いで一筆を入れるのだろう。とか。
とかとか。
以前、そんな議論をした気がしますが―
アートとデザインとを明確に切り分けることは多分難しくて、受け手の解釈に委ねる部分が大きいものを人は「アート」と思うのかもしれません。
書も、書く者自身が自分の思いに気づいていないか、言語化できないときがあって。
受け手の解釈で育っていきます。さようならしたい思いには、介錯すら―