漂流という選択肢

人生は選択の連続です。

そして世の中には行動を起こせる人、起こさない人がいます。

実際は、行動を起こさない人も行動を起こさないことを選択して行動しているので行動を起こさない人というのはいないとも言えます。

現状に満足している人は、思考と行動が一致しているので、ここでは問題としません。

現状に不満を抱きながらも行動変化を起こせない人に行動を起こさせる考え方をあれこれ考えてみます。

  • 現状維持を選択肢に入れるか、入れないか。
  • 時間の価値を無料と考えるか、有料と考えるか。
  • 情報の価値を無料と考えるか、有料と考えるか。

まず行動変化を起こすための手取り早い方法として、現状維持を選択肢から外すということが考えられます。

どうすれば現状維持を選択肢から外せるでしょう。

まず視点移動を試みます。

現状維持を選択する人は、行動変化を起こすことで未来が予測不能になる事が心配なのではないかと思います。

では現状維持をすることで未来が予測可能になっているかどうかを考えてみましょう。「明日する仕事が決まっている」というのと「未来予測が出来ている」はイコールでしょうか。

明後日、明々後日… と決まっている仕事が続いているとして、その仕事が生み出す価値は決まっているでしょうか。

「決まったこと」をやっているだけだとすれば、誰がいつ何の為に決めたことなのかを問うてみるのがよいです。

やってみて思い通りにいけば良いが、思い通りにいかなければどうするのか。

①「決まったこと」なのでやり続けるのが良いのか、②取る行動を決め直すのが良いのか、どちらかを選択することになります。

前者を選ぶのはある意味では簡単なことです。後者は情報処理プロセスが入りますので複雑さが加わります。

結果として「決まったこと」をやり続けることになったとしても情報処理プロセスの入らなかった前者とは質的に違う選択を取ったことになります。

正解があるわけではないのですが、サバイバルで生き残れるか、生き残れないかを決めるのは、上記の微妙な情報処理の質が積み重ねられた判断力なのです。

さて、行動変化を選択する時、行動の方向性はどうなるのか。これを知っているかどうかが未来の予測可能性を左右します。

一般的には「闘争」か「逃走」か。

ここに第三の選択肢「漂流」を追加してみたい。

闘争していないから逃走に近いですが、逃走ほどエネルギーを使わない。しかし、流れが激しいところでは闘争のようなエネルギーを使う。この意味から闘争でも逃走でもない、第三の選択肢だと考えています。

「漂流」を選択肢として持つ事が出来るようになると、行動基準を変えることが出来るようになります。

維持、闘争、逃走、漂流というのは特性とも考えられます。自分の特性に応じて生態系のどこにポジションを取るかが決まるとも言えます。

外部環境との境界線に立つものは、漂流特性を持っていた方が良いです。外部環境というのは絶えず漂い流れているものなので、現状維持しか選択肢がない人にとっては不自由極まりない環境なのです。

現状維持以外の選択肢のどれを取っても、一見して「自由」や「幸福」と捉え難いものではないかと思います。それでも、維持以外の選択に価値が認められているのは外部環境との境界線が至る所に現れていて、境界線と接しないポジションが減っているためではないからでしょう。

つまり漂流を選択肢として持っておいた方が生きやすい世の中になってきているということなのだと思います。

実際に漂流してしまうと結果的にサバイバルライフになるでしょう。漂流し続けるのもそう簡単ではないと思います。

つまり、オモシロタノシズムというのは、漂流し続けることを簡単そうに見せる力でもあり、濁流の中を笑いながら漂流している人を完全にヤバい奴オモシロタノシストだと言えるかもしれません。

そんなサバイバルは真平御免という方は現状維持を選ぶ方が良いと思いますが、極めて場所取りが難しい世の中になってきていることをご留意下さい。

次に時間の価値は無料か有料かの観点を見ていきましょう。

「時間の無駄遣い」という言葉があります。この言葉はしっくりくるでしょうか。
時間を無料と考えれば、無駄遣いしても痛くも痒くもないわけなので、肌感覚として時間は有料だと理解していることになります。

しかし、「無駄遣いをするな」という言葉だけだとポジティブな行動に変換しにくいんですよね。なので「時間の使い方を考えよう」という言い換えをしてみるのがよいのではないかと思います。

ネガティブな言葉は思考停止を生む呪いの言葉であり、ポジティブな言葉は創意工夫を生む祝いの言葉です。

時間に価値があり、コストが掛かるという考え方は情報価値を考える上でとても大事です。

最後に情報の価値が無料か有料かという観点です。

経済学的に考えますと、情報の価値は需給バランスで決まります。つまり情報を持つものと持たないものの関係で決まります。

具体的には、両者の間の空間であり、それを埋め合わせるために情報を持つものがどれだけ情報を編集、加工して、持たないものが即座に使えるように提供できるかということです。

この情報ネットワークと加工プロセス、提供窓口を務めるものを「インテリジェンスエージェンシー(情報仲介屋)」と言います。

ちなみに情報を持たないもの(依頼人=プリンシパル)=米大統領、情報を持つもの=情報ソース、情報仲介屋(エージェント)=CIAと説明ができます。CIAは情報サービス業なのです。

同じプリンシパル・エージェントの構図で様々な仕事を整理する事が出来ます。世の中の大半の仕事が情報サービス業だと理解出来るようになります。

情報サービスは質的に価値のあるもの、無いものがあり、それにより有料、無料が決まるというのがお分かり頂けたなら幸いです。

視点を変えて情報処理能力で考えますと量の側面から情報の価値を考えることご出来ます。

情報処理が瞬時に無限に出来れば、情報コストはゼロだと考えられます。情報コストがゼロなら情報を無料で提供することも可能です。この場合、情報価値はゼロです。

しかし、現実的には情報処理量は無限でもないですし、瞬時に答えを導き出せるわけではありません。

ジェネラティブAIが難しい問いに答えを出してくれる時代になりましたが、それをそのまま採用出来るかどうかを判断するには、時間コストが掛かります。

時間コストを掛けることを惜しんでジェネラティブAIの答えをそのままサービスに乗せて提供してしまい、依頼人を失望させた場合、本来掛けても良かった時間コストと不釣り合いな損害を被ることがあります。一時的な損害に加え、失われた信頼の再構築に掛かるコストは甚大になる可能性があります。

提供する情報が高度になろうともサービス業である以上は、行き着くところはプリンシパルの「幸福実現度」を評価基準とした「信頼性」「可用性」「安全性」の最適化問題だと考えます。

これは生き方そのものにも当て嵌めることができます。

人生とは情報の受発信、情報に基づく行動選択の連続です。

そもそも人生の目的というのは無いのですが、そこに意味を持たせるために情報処理をしているに過ぎないのです。どんな意味を持たせるかというのは個人の自由であり、自分で決めることです。

上記で述べましたように、時間価値が有料であること、情報価値が有料であること、オープン化により外部環境との境界線が至る所に現れていることを鑑みますと日々の選択が変わるのではないでしょうか。

なりたい自分を作るのに意味のある相手を選び、その相手とどれだけの情報受発信をするかにより、なりたい自分を実現出来る確度が決まるとも言えます。

つまり、なりたい自分を作るのに意味のある相手が周りにいるか、いないか。

これが現状維持から現状変化に判断を切り替えるシグナルだと考えることが出来ます。

漂流したくなったら、流れを止めている堰を切りましょう。そして濁流の中で笑いながら漂流しましょう。

あなたの人生に意味のある相手が見つかることをお祈りしています。

それでは。

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この記事を書いた人

シゲタ ノリスケ シゲタ ノリスケ ビジネスデベロッパー、コンサルタント、オモシロタノシスト

好奇心が服を着て歩いてると言われる40代ビジネスパーソンです。オモシロタノシズムの社会実装を夢見て、今日もあれこれ考えています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 親友を超越した真の友、「真友」でしょうか。
    「自分は他人で作られている」と聞いたことがあります。
    人生に影響を与える「真友」がひとりでも居たら、その人の人生は幸せですね。

    • いつもコメントありがとうございます!
      そんな真の友との出会いが待っている漂流の旅、ワクワクしますね。

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