社会は確実性を増している?

VUCAという言葉があります。
言わずと知れていますが、Vulnerability Uncertainty Complexity Ambiguity、つまり不安定性・不確実性・複雑性・曖昧性を意味し、この時代の特徴を表すのに使われています。

しかし、果たして本当にそうか、という視点が必要です。あるいは誰からの視点で、何の為にVUCAと言っているのかということに目を向けなければならないと思います。つまり、文脈を理解の理解が大切だと思います。

元々は冷戦後の世界を念頭に軍事戦略用語として登場したものがビジネスシーンに転用されたものです。ある意味で冷戦時代はグローバル社会に緊張感を与え、秩序を保っていました。

ソ連崩壊により、アメリカの軍事戦略は冷戦時代と比較して、不安定で不確実で複雑性、曖昧性の増す国際情勢になる事を念頭に考えねばならない事を意味していたのでしょう。

従って、現在普及しているビジネスでの使われ方とは文脈が違います。ビジネスシーンでは比較対象になる時代をセットして、VUCAを戦略に落とし込む企業がどれだけいるか、という事を考えると現在の使い方の適切さは怪しげだと考えています。

従って、私はこのVUCAは積極的に使わないようにしています。ただ、この時代にこの言葉が使われている真意は知りたいと思っています。

現在のビジネスの文脈に当て嵌めて考えてみると、ビジネスパーソンのテクノロジー適応力や社会へのテクノロジーの適切な実装の問題を考えてみるのが良いと思います。

私は趣味で写真を撮るのですが、夏の風物詩として「稲光」を被写体として収めることがあります。この稲光は電光石火の如く空を走り、芸術的な光の模様を作ります。その「芸術的な閃光を切り取りたい」という欲求がカメラを手にする動機となるわけですが、「それを切り取るためにどうするか」というのが問題になります。

私が従来取っていた手法はカメラを三脚に立てて、シャッターを遠隔で操作できるレリーズやリモコンをカメラ本体に繋ぎ、稲光が光るタイミングでシャッターを切るという動作でした。

連続シャッターを駆使して撮った絵(場合により数百枚)の中から「これ」という絵を選びます。結果として「これ」という絵が残る確率は案外低いと言えます(お前の腕の問題だろ?というお叱りを一旦無視させて下さい)。そして、この時、用意したのはカメラ本体、レンズ、三脚、レリーズ(リモコン)です。

さて現在はどうか。

雷鳴を聞く、手ぶれ補正付きのスマートフォンを使いビデオモードで撮影。動画をコマ送りで再生し、これというコマを写真として保存する。用意したのはスマートフォンだけです。

稲光を撮影するという体験については、テクノロジーを駆使することで安定的に確実に、単純な操作に変容されました(曖昧性については一旦横に置いておきます)。かなり飛躍しますが、このような体験のアップデートがそこかしこで起きていると見て良いと思います。

電線が邪魔ですが、綺麗に樹状に伸びる稲光の瞬間を切り取ることが出来ました

このことを鑑みると、VUCAというのはテクノロジーが劇的に進化していること、そのテクノロジーを使いこなせる側と使いこなせない側の格差が広がっている時代を反映した言葉だと思います。すなわち、テクノロジーを売りたい人がセットしている言葉でもあろうかと思います。

さて、別の視点でこの体験のアップデートを捉えてみようと思います。それは「ドキドキできるかどうか」という視点(軸)です。

実は従来の面倒臭い準備をして撮影していた時の方が圧倒的にドキドキ感がありました。その面倒な手続きを経て、確率の低い「良い絵」が撮れた時の感動はプライスレスでした(だから、それはお前の腕の問題だ、というご指摘をもう一度流させて下さい)。

ドキドキというのは不確実性を楽しむための感性だと言えるでしょう。そして、テクノロジー進化に追随してしまうということは、従来と同じ体験をする際のドキドキ感を喪失してしまうこととも言えるでしょう。

極論ですが、ドキドキしていたい人にとってテクノロジーアップデートは不要と言えます。無論、ドキドキだけを追求していくことで、他の重要な視点が抜けてしまうと、大変生きにくい世界になってしまうと思います。従って色々な視点で状況を見られるように視点移動するということが大切なのだと思います。

私はテクノロジー進化には適度についていきたいと思っています。最先端を使いこなすことは出来ないけれども、どういう方向で進化していくのかは知りたいですし、マジョリティにテクノロジーが普及していく前には、それを使って遊んでいたいと思います。

この新しいテクノロジーで遊ぶに至る過程がドキドキですし、遊んでいるうちに幾つかは磨きを掛けても良いと思えるものに出会えると思います。

テクノロジーとは社会の問題を解決するために生み出されたものです。しかし、テクノロジーは一度社会に解き放たれると本来の目的ではないところにも使われ始めます。解決の手段だったものが新たな問題を作り、その問題解決のために次のテクノロジーが開発され、これを繰り返しながら社会は複雑性を増してきていると言えます。

私が、この複雑性に対応する際に行うと良いと考えているのは、「新しいテクノロジーを使うことを一旦忘れる」ということです。つまり、新しいテクノロジーを実装することが目的になると、本末転倒の事態を招きかねないというリスクが常にあると考えるということです。

その上で、現在の状況と在りたい姿を考えた時に対処すべき根本的な問題を考えることが出来ます。問題解決のための手段として、現有のテクノロジーに限界がある時だけ、新しいテクノロジーの導入を検討すれば良いとも言えます。これは割り切りです。所詮、その時の「新しい」も時間経過とともに古くなり、また「新しい」ものが出てきてしまうのが世の常です。

このようなテクノロジーのイタチごっこを横に置いて、この社会を生き抜くことを考える際に大切なことを俯瞰しますと、古いテクノロジーで、ある程度のところまでは新しいテクノロジーと勝負できる「その他の能力」を身につけるということが見えてきます。そこには哲学や思想、創造力の育成など普遍的なテーマがあろうかと思います。そうしたものにも関心を持つことで過度なテクノロジー実装病から距離を置くことが出来るのではないかと思います。

ドキドキがなくなると面白みや楽しみが失われます。ドキドキ体験をアップデートしていくという視点を大切に生きていきたいと思います。やはり好奇心を持ち続けることが面白楽しく生きていく確実性を高めることに繋がると思います。

なお、サムネールで使用した写真は生成AIで作成されたもので、私が撮影した写真ではありません。AIで生成した方がスマートフォンで撮影した写真よりも描写力が上ですが、やはりドキドキ感はスマートフォンが上ですね。不確実性のある方が面白い人にとってVUCAはテーマパークです。

それでは。

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この記事を書いた人

シゲタ ノリスケ シゲタ ノリスケ ビジネスデベロッパー、コンサルタント、オモシロタノシスト

好奇心が服を着て歩いてると言われる40代ビジネスパーソンです。オモシロタノシズムの社会実装を夢見て、今日もあれこれ考えています。

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