仕事と遊びについて

仕事と遊びは対概念だろうか。

少し立ち止まって考えてみたいと思います。

定義を調べてみると、

仕事
職業や業務として、すること。また、職業。

遊び
知能を有する動物が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。

何やら遊びの定義が長たらしい…。
一旦、この定義を横に置いておき、具体的にいくつかの点を見てみましょう。

仕事=お金をもらう遊び=お金をもらわない
仕事=契約をベースとする遊び=契約をベースとしない
仕事=成果を出さねばならない遊び=成果を出さなくともいい

こういう区別の仕方をすると違和感なく分けられます。
では逆も真と言えるか。

・お金をもらったら遊んではいけない
・遊ぶことを契約してはいけない
・成果が出たら遊びと呼べない

どれもしっくりこないのは私だけでしょうか。
では、こういうのはどうでしょう?

・成果は出ていないけど、本人は遊ぶつもりはなく、一所懸命、契約に基づき仕事して、お金をもらっている。

これは、一定の理解が得られる表現ではないでしょうか。成果の如何を問わず「一所懸命働くこと=仕事」が成立することを意味します。ただし、これは特殊な日本的な雇用慣行が許しているだけで、この先もこれが「仕事している」で通じる保証はありません。

成果を出す、出さないは仕事と遊びを分つ重要な要素ではないかと考えられます。

では、視点を変えて「充実」という次元を加えつつ、目的の面から仕事と遊びを見ていきましょう。

仕事の充実=目的の達成遊びの充実=目的の達成
目的如何で「仕事=遊び」が成り立つのではないかと思います。

目的を見ていくと、

仕事の目的=困っている誰かを助ける(利他)
遊びの目的=自分の心を満たす(利己)

利他か利己かで分かれそうです。もちろん、個々にの解釈次第で仕事と遊び、それぞれに利己と利他が含まれることはあると思います。違いは「起点」のみではないかと思います。

仕事=利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→… 
遊び=利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→利己→利他→… 

途中から見ると同じに見えて来ないだろうか。
また視点を変えて、仕事と遊びの関係を物理的に考えてみたいと思います。物理学と物作りの観点で見ていきましょう。

仕事=物体が力の作用を受ける時に動く方向✖️動いた距離(単位はW:ワット)

仕事には方向と距離があり、エネルギー量で計測が出来る。仕事を続ける為にはエネルギーを供給し続ける必要があるということです。2人以上で仕事をする際は仕事の方向が揃っていないと思ったように成果が出ないこととなる。

遊び=複雑な構造物を組み立てる際に生じる許容可能な隙間
(隙間は小さすぎると作業性が悪くなったり、精度を上げるための追加コストが発生する。また大きすぎると構造物の機能に悪影響が出る)

「遊びがないと仕事が上手くいかない」と言えます。回転や往復動を行う機械の可動部の遊びは部品同士の接触を防ぎ、エネルギーロスを防いだり、故障を防いだりすることで寿命を伸ばすことに貢献します。

ここまで仕事と遊びを様々な観点で比較検討してきましたが、敢えて比較要素として出してこなかったことがあります。それは「好き」「嫌い」の観点です。

仕事=好きじゃないこともしなければならない
遊び=好きなことが出来る

これは一般的には「そうかな〜」と思えますね。しかし、遊びも2人以上でやる場合は「好き」の相対的な程度問題で必ずしも好きじゃないことで遊ぶこともある(お付き合いで遊ぶなど)ことを踏まえると境界線は曖昧と言えます。

仕事=一人では成立しないもの
遊び=一人でも成立するもの

さて、そろそろ、まとめに入りますが、改めて定義を見てみましょう。

仕事
職業や業務として、すること。また、職業。

遊び
知能を有する動物が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。

如何でしょうか。
仕事については、違和感はないです。遊びが入っても入らなくても仕事は仕事。遊びの中に「望まない労働」が除外されている点は納得感がありますね。
しかし、遊びについては、もう少し「遊び」があってもいいかな、と思います。「基本的には」の前置きを置いて範囲から除外された「食事」「睡眠」にも遊びを加えたい。

仕事と遊びは対概念ではないと考えます。

「仕事」と「仕事以外」という対概念があり、その上位に「遊び」という次元がある。少なくとも私のフレームワークではそのように整理しています。

「誰もが望む労働が出来る世の中では全てが遊びになる」というのは飛躍し過ぎかもしれませんが、あながち間違いとも言い切れないのではないでしょうか。
皆が「望む仕事」を明確化し、物理的な障壁が取り払われ、「求められる仕事」と「望む仕事」が完全にマッチング出来る世界。
夢現に広がるこのような世界を夢のまま置いておくか、実現するか。クリエイティブネイションは貴方や私次第で実現できます。

それでは。

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この記事を書いた人

シゲタ ノリスケ シゲタ ノリスケ ビジネスデベロッパー、コンサルタント、オモシロタノシスト

好奇心が服を着て歩いてると言われる40代ビジネスパーソンです。オモシロタノシズムの社会実装を夢見て、今日もあれこれ考えています。

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