失われた30年?

失われた30年?

バブル経済が弾けてからの政治・経済的な迷走状態を「失われた30年」と言ったりしますが、私はあんまりしっくり来ていません。

・バブル=泡

・表層を薄い液体の膜で覆われた空気

・大きく見えても液面は別のところに有る

こう考えるとまずはバブルが膨らみ始める前の状態と現在の差分で考えると良いと思います。

無かったものは失いようがないと考えた方が自然です。

では有ったものは何か?

こう考えていくと実は失われた期間は30年どころではなかった…

でも大丈夫、それは多分「見失っただけ」でそこにありますよ…
という話は整理しながらアウトプットしていきたいと思います。

備忘録的に書き留めておきます。

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この記事を書いた人

シゲタ ノリスケ シゲタ ノリスケ ビジネスデベロッパー、コンサルタント、オモシロタノシスト

好奇心が服を着て歩いてると言われる40代ビジネスパーソンです。オモシロタノシズムの社会実装を夢見て、今日もあれこれ考えています。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 失われた30年。と呼ばれる期間があったから、いま有るものもありますわね。
    仮に失われた30年がなかったとしても、どこかの世代で、失われた100年とか言ってそうね。

    情報のスピードに心が追いついていないのかな。
    としたら、現代人は未成熟ってことになりますわ。

    • コメントありがとうございます。

      失ったものがあれば、得たものもある。
      つまり、別に30年失ったわけではない、となりますよね。

      目に見える結果としての変化だけではなく、目に見えない変化の過程も大事にしたいです。

      ちなみにテクノロジーが発達すると成熟しなくても、ある程度生きていけてしまう、とも言えますかね。

      それが幸福なのかどうかは別の話ですけどね。

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